心は、階段を上るだけでなく、行き来していた。

十界互具(じっかいごぐ)から見えてきた、人生経験の意味

木の机に開かれたノートと温かい飲み物。縁側の向こうに、やわらかな光が差す緑の小径が続いている。
画像はイメージです

最近、仏教の「十界互具(じっかいごぐ)」という考え方に触れて、あることが腑(ふ)に落ちました。

それは、人間の心は、一つの状態に固定されているわけではないということです。

怒っている自分もいれば、喜んでいる自分もいる。

欲望に囚(とら)われることもあれば、誰かを思いやることもある。

そして、何かのきっかけで、それまでとはまったく違う視点から物事を見ることがあります。

私自身、認識が変わった瞬間に、ほんの数分前とは違う心のあり方になった経験が何度もあります。

今回、仏教の教えを学ぶ中で、その経験とつながる考え方に出会いました。

そして、これまでの自分の人生についても、新しい意味が見えてきたのです。

目次

自分の中に、十の世界がある

仏教には「十界(じっかい)」という考え方があります。

迷いの世界とされる、地獄、餓鬼(がき)、畜生(ちくしょう)、修羅(しゅら)、人、天の六道(ろくどう)。

そして、悟りの世界とされる、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)、仏の四聖(ししょう)。

これらを合わせた十の世界です。

図1十界(じっかい)とは:10の世界

六道の6つ+四聖の4つ=10の世界(十界)

六道(ろくどう):迷いの世界とされる6つ

  • 地獄界:強い苦しみ
  • 餓鬼(がき)界:満たされない欲望
  • 畜生(ちくしょう)界:無知や目先の欲求
  • 修羅(しゅら)界:争いや対抗心
  • 人界(にんかい):平静な判断
  • 天界:喜びや満足

四聖(ししょう):悟りの世界とされる4つ

  • 声聞(しょうもん)界:教えを聞いて学ぶ
  • 縁覚(えんがく)界:自ら道理を観察する
  • 菩薩(ぼさつ)界:智慧(ちえ)と慈悲を実践する
  • 仏界(ぶっかい):悟りの智慧(ちえ)と慈悲

※各界の説明は、日常的な理解のために簡略化したものです。仏教の厳密な定義そのものではありません。

十界は、もともと輪廻(りんね)や悟り、修行に関わる仏教の世界観です。

天台(てんだい)教学(きょうがく)には、その十界のそれぞれが、ほかの九界(きゅうかい)を含めた十界すべてを具(そな)えているという「十界互具」の教えがあります。

仏の世界にも他の九界が具わり、地獄の世界にも仏界(ぶっかい)が具わる。

それぞれの世界は、完全に切り離されたものではないという考え方です。

十界互具は、単に感情が十種類に分かれているとか、気分が次々に変わるという教えではありません。

図2十界互具(じっかいごぐ):一つの界の中に、十界すべてが具(そな)わる

例1 地獄界の中にも、仏界が具(そな)わる

地獄界

この中に十界

  • 地獄
  • 餓鬼
  • 畜生
  • 修羅
  • 人
  • 天
  • 声聞
  • 縁覚
  • 菩薩
  • 仏

例2 縁覚界の中にも、ほかの九界が具(そな)わる

縁覚界

この中に十界

  • 地獄
  • 餓鬼
  • 畜生
  • 修羅
  • 人
  • 天
  • 声聞
  • 縁覚
  • 菩薩
  • 仏

十界互具は、各界がそれ自身を含む十界すべてを具(そな)えるという教えです。中国の智顗(ちぎ)が『法華経(ほけきょう)』をもとに体系化した、天台(てんだい)教学(きょうがく)の考え方です。

※点線の丸は中心の界それ自身、太字の丸はその例で注目している界です。気分が順番に切り替わる様子や、上下の段階を表した図ではありません。どの界を中心に置いても、同じように十界が具わるとされます。

十界について学んだ後、私は今の自分がどの世界に近いのかを考えてみました。

そこで思い浮かんだのが「縁覚界」でした。

私は今、先人が残してきた智慧(ちえ)を学び、それを実生活の中で自分自身で試しながら、物事の仕組みや法則を探究しています。

まさに、SelfHack Labで取り組んでいる「第一探究」です。

縁覚は本来、物事が条件によって生じるという縁起(えんぎ)の道理を自ら悟る者を指し、単に何かを研究する人を意味するわけではありません。

それでも、自分自身で確かめながら、物事の仕組みや法則を見いだそうとするところに、今の自分の探究と重なるものを感じました。

そして、十界互具の教えに照らして、こう考えたのです。

今は縁覚界に近い心のあり方を感じていても、それが自分のすべてではない。

私の中には、ほかの九界も具わっている。

怒っている自分も、苦しんでいる自分も、そのとき現れている自分の一つのあり方にすぎないのではないか。

この理解が、私にはとても腑に落ちたのです。

そう考えた瞬間、以前読んだ一冊の本と、これまでの自分自身の経験がつながり始めました。

心は、階段を上るだけではない

その一冊とは、デヴィッド・R・ホーキンズの『パワーか、フォースか』です。

ホーキンズは、人間の意識を1から1,000の数値による階層的なモデルで説明しています。

この数値は、筋力テストを用いて割り出されたとされていますが、科学的に確立された意識の測定法ではありません。

私はその本を読んだ当時から、一つの問いを持っていました。

人間の意識は、本当に一段ずつ階段を上るように変化するのだろうか。

私には、それだけではないように思えたのです。

穏やかだったのに、突然腹が立つことがある。

不安に囚われていたのに、あることに気づいた瞬間、心が軽くなることもある。

同じ出来事なのに、見る角度が変わるだけで、感情や行動が変わる。

私は、そのような変化を何度も経験してきました。

だからこそ、心のあり方は一方向に上へ進むだけではなく、上にも下にも行き来しているのではないかと考えていたのです。

天台宗の法話の中にも、私たちの心は十界のあいだを行き来している、という説明があります。

ホーキンズの意識レベルと仏教の十界互具は、成立した背景も理論の構造も異なります。

同じものだと言いたいわけではありません。

ただ、ホーキンズの本を読んで抱いた問いと、十界互具の考え方のあいだに、通じる着想を見つけたのです。

私は、異なる思想の中に共通する原理を発見することに、大きな喜びを感じます。

数分前の自分と、今の自分

私が特に探究したいのは、認識の変化です。

例えば、誰かに強い言葉を言われたとします。

その瞬間は、相手が間違っていると思うかもしれません。

しかし、その人の事情や背景を知ったとき、同じ言葉の受け取り方が変わることがあります。

相手の言葉そのものは、変わっていません。

変わったのは、自分の認識です。

事情を理解したからといって、相手の言動をすべて許す必要はありません。

それでも、認識が変わることで、感情や行動の選択肢が変わる可能性があります。

図3同じ出来事でも、捉え方で反応は変わり得る

同じ出来事(説明のための例):相手から強い言葉を言われた

捉え方 A

「自分が責められている」

怒り、反発などの反応

または

捉え方 B

「相手には事情があるのかもしれない」

観察し、理解し、対応を考える

※どちらが正しいかを決める図ではありません。怒りを感じることも自然な反応で、相手の言動をすべて受け入れる必要もありません。

十界互具の説明に触れたときも、単に新しい知識を得たという感覚ではありませんでした。

自分の経験と一致していることに気づき、

「そういうことか」

と納得したのです。

十界互具とは別に、仏教には「無我(むが)(アナートマン)」という教えもあります。

無我は、心身を永遠不変で、思いどおりに支配できる自己として捉えない教えです。

私はその教えから、固定された自己像に囚われる必要はない、という示唆を受けています。

ただし、無我だから心を自由自在に操作できるという意味ではありません。

この違いも、これからの探究で丁寧に確かめたいところです。

これまでの人生にも、違う意味が見えてきた

今回、十界互具について考えているとき、もう一つ大きな気づきがありました。

それは、これまでの人生経験についてです。

私は今まで、いろいろな経験をしてきました。

喜びもあれば、苦しみもありました。

欲望に動かされたことも、葛藤(かっとう)したことも、後悔したこともあります。

振り返ってみれば、決して穏やかな心だけで生きてきたわけではありません。

しかし、今回、それらの経験が少し違って見えたのです。

図4経験は変わらなくても、意味づけは変わる

過去の経験

  • 喜び
  • 苦しみ
  • 欲望
  • 葛藤
  • 後悔

出来事そのものは、変わらない

今の気づき

さまざまな心のあり方を知るための学びとして、捉え直す

これから

相手を理解し、その人に届く言葉で対話する

※つらい経験を美化したり、最初から目的があったと決めつけたりするものではありません。

さまざまな心のあり方を経験してきたからこそ、似た状況にいる人の気持ちを想像できるのではないか。

苦しみを知っているから、苦しんでいる人の話を聞けることもある。

欲望や執着(しゅうちゃく)を経験したからこそ、そこから離れられずにいる人の気持ちを理解できることもある。

自分が似た経験をしたからといって、相手のすべてを理解できるわけではありません。

人それぞれに、異なる事情や背景があります。

それでも、自分自身の経験は、相手の立場を想像するための手がかりになる。

そう考えたとき、これまでの人生の意味が変わりました。

喜びも、苦しみも、欲望も、葛藤も、後悔も。

どれも、人の心のさまざまなあり方を知り、相手に合わせて対話するための学びでもあった。

今の私は、そう捉え直しています。

過去の出来事が変わったわけではありません。

過去の出来事に対する、今の私の解釈が変わったのです。

相手の世界を理解するために

さらに、気づいたことがあります。

もし、人間の心がさまざまな世界を行き来するのなら、目の前にいる人も、一つの状態だけで決まる存在ではないはずです。

怒っている人が、いつも怒っているわけではありません。

欲望に囚われている姿が、その人のすべてではありません。

今は苦しみの中にいる人にも、違う心のあり方が現れる可能性があります。

だからこそ私は、相手を一つの状態で決めつけず、その人が今どのような状況にいるのかを理解したいと思っています。

そして、自分の考えを押しつけるのではなく、相手に合わせて、その人に届く言葉を探せるようになりたいのです。

同じ内容でも、伝え方によって受け取り方が変わることがあります。

相手の今の状態を想像し、その人が理解できる言葉で対話する。

それも、これから深めていきたい探究の一つです。

異なる表現から、共通する原理を探す

私は以前から、古くから受け継がれてきた智慧や技術に関心を持ってきました。

仏教、密教、哲学、身体の仕組み、脳科学、認知科学。

分野は違っても、共通する原理があるのではないか。

そんなことを考えながら、探究を続けています。

私の中には「真理は一つであり、表現の仕方が違うだけなのではないか」という思いがあります。

もちろん、それが本当なのかは、まだわかりません。

図5異なる分野から、共通する原理を探す
  • 仏教
  • 密教
  • 哲学
  • 身体の仕組み
  • 脳科学
  • 認知科学

共通する原理はあるのか?(探究中の問い)

※答えが出ている図ではなく、違いも大切にしながら確かめていくための問いです。

異なる思想には、共通する部分だけでなく、大切な違いもあります。

だからこそ、原典を調べ、比較し、自分自身でも試して確かめたいのです。

私が求めているのは、一時的な興奮や、前向きな言葉による気分の高揚だけではありません。

なぜそうなるのか。

どのような条件で認識が変わるのか。

本当に腑に落ちた理解は、その後の判断や行動にも影響するのか。

そうした過程を、一つずつ丁寧に観察していきたいのです。

今の自分が、自分のすべてではない

今回、十界互具から得た気づきは、私にとって大きなものでした。

今の自分が、自分のすべてではない。

今どのような心の状態にあっても、それだけで自分を固定する必要はない。

これまでの人生経験も、今の私には新しい意味を持って見えている。

そして、目の前の人もまた、一つの状態だけで決めつけられる存在ではない。

私は、この理解を単なる知識で終わらせたくありません。

日常生活の中で、自分の認識がどう変わるのか。

その変化によって、心や行動、外側の世界の見え方がどう変わるのか。

実際に体験し、観察し、繰り返し確かめたいと思っています。

そして、そこで得た理解を、必要としている人が自分自身で確かめられる形にして伝えられたら嬉しい。

今回の気づきは、その道のりの一つになりました。

残った理由を、確かめに行く。

SelfHack Labの第一探究は、これからも続きます。

参考資料

関連資料(天台教学の原典と研究)

※十界互具、無我、ホーキンズの意識レベルは、それぞれ異なる思想や理論に属します。本文では、教えや資料で説明されている内容と、私自身の体験、解釈、仮説とを区別して書いています。

日々の探究や体験から生まれた気づきは、リアル小島通信でもお届けしています。

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この記事を書いた人

小島義教(こじま よしのり)

薬剤師、SelfHack Lab運営

薬剤師として20年以上、薬局の現場で経験を重ねてきました。自身の薬剤性肝障害をきっかけに、健康情報を増やす前に身体の背景を整理することの大切さを実感。

現在も薬剤師として働きながら、漢方、生薬、植物、脳科学、伝統文化、コーヒーなど、興味を持ったことを幅広く探究しています。

「残った理由を、確かめに行く。」

この言葉を大切に、自分で調べ、体験し、確かめたことを発信しています。

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