心配している間に、身体を急かしていた
疲れた日の不安と、ダンマパダ39から学ぶ「今できること」
疲れた朝ほど、
「何を飲めばいいだろう」
「何を食べればいいだろう」
「何を始めればいいだろう」
と、何かを足したくなることがあります。
身体が重い。
眠りが浅かった。
鼻や喉の感じが、いつもと少し違う。
Apple Watchの睡眠データも、あまり良くない。
そんな小さな変化を見つけると、私は以前、
「また悪くなったかもしれない」
「このまま戻らなかったら、どうしよう」
「何か対策を足さなければ」
と、まだ起きていない未来まで考えてしまうことがありました。
身体を整えたいと思っていたのに、実際には、身体を急かしていたのかもしれません。
以前の記事でも書いたように、疲れたときに最初に必要なのは、対策を増やすこととは限りません。
足す前に、並べる。
決める前に、観察する。
今回は、その手前にある「心の習慣」について書いてみたいと思います。
休むより先に、何かをしなければと思った朝
薬剤師として働いていると、対策や選択肢を知っているぶん、身体の変化に早く反応しようとします。
食事。
睡眠。
漢方。
サプリメント。
運動。
検査。
受診。
記録。
できることが多いからこそ、少し身体が重いだけでも、
「早く戻さなければ」
「何か見落としているかもしれない」
と、頭の中が忙しくなります。
薬剤性肝障害を経験したあとは、とくに身体の変化に敏感になった時期がありました。
少しだるい。
眠りが浅い。
食欲がいつもと違う。
数字が少し悪い。
それだけで、過去の経験と結びつけて、悪い未来を想像してしまう。
もちろん、身体の変化を無視してよいわけではありません。
必要なら受診することも、検査を受けることも、医師や薬剤師に相談することも大切です。
ただ、現実を確認することと、頭の中で最悪の未来を何度も再生することは、同じではありません。
疲れたとき、私の中で動き出す3つの習慣
1早く戻さなければ、という焦り
身体が重いときほど、私は「休む」より先に「戻す方法」を探していました。
今日中に整えたい。
明日には元に戻したい。
でも、身体には、回復に必要な時間があります。
焦りは、必要な行動を促してくれることもあります。
一方で、焦りすぎると、身体の変化を待つことも、観察することも難しくなります。
2小さな変化を、悪化の予兆にしてしまう癖
昨夜は眠りが浅かった。
今日は少し頭が重い。
便がいつもと違う。
脚が重い。
こうした事実に、
「このまま悪化するかもしれない」
「もう戻らないかもしれない」
と、不安が未来を付け加えていくことがあります。
私がここでいう「妄想」は、病気や不調を軽く見ることではありません。
ここでいう「妄想」は、精神医学上の診断名を意味するものでもありません。
医師からまだ言われていない最悪の結末を、頭の中で何度も上映してしまうこと。
まだ起きていない未来を、すでに起きたことのように感じてしまうこと。
そして、心配しているだけで、今できる行動まで止まってしまうことです。
3休むより、正しい対策を探してしまう習慣
健康に真面目な人ほど、「何かしている安心」を得ようとしやすいと思います。
検索する。
比較する。
買う。
始める。
追加する。
けれど、その間に、自分の身体を静かに観察する時間が減ってしまうことがあります。
何を足すかの前に、
今日は何が起きているのか。
昨日と何が違うのか。
いま必要なのは、対策なのか、休息なのか、相談なのか。
そこを並べて見ることが、私には必要でした。
心の習慣は、身体にどう関わるのか
心の習慣が、すべての不調を生むわけではありません。
不調や病気を、心が弱いから、考え方のせいだからと決めることもしません。
病気には病気としての原因があり、検査や診断や治療が必要なこともあります。
医療者に相談することも、薬を使うことも、手術を選ぶこともあります。
そのうえで、焦りや自己否定、最悪を予測する癖は、
眠り。
呼吸。
食べ方。
休む判断。
症状への注意の向け方。
こうした日常の選択に影響することがあると、私は感じています。
身体がつらいことそのものよりも、
「このまま悪くなったら、どうしよう」
という考えが重なると、身体がさらに休みにくくなるように感じることがありました。
Apple Watchの睡眠データも、心拍数も、体重も、血圧も、身体を理解する材料になります。
ただ、数字が悪い日に、それを「判決」のように受け取ってしまうと、不安が増えることもあります。
データは、身体を責めるためのものでも、未来を断定するためのものでもありません。
身体を理解するための、一つの材料として扱いたいと思っています。
今月の法灯明|心配性で、心が休まらないとき
この感覚を、私は自分の身体の小さな不調だけでなく、妻の病気という、もっと大きな不安のなかでも経験しました。
妻が、てんかん発作で倒れ、救急病院に搬送されたことがありました。
検査の結果、髄膜腫と診断され、手術を勧められました。
そのときの私は、現実に起きていること以上に、まだ起きていない未来に心を奪われていました。
このまま悪い方向に進んだら、どうしよう。
後遺症が残ったら、どうしよう。
死んでしまったら、どうしよう。
夜、寝床につき、横で眠る妻を見ながら、最悪の未来を何度も想像しました。
脳が興奮して、涙が止まらない。
眠れない。
夜中の2時に、仏壇の前で祈ったり、神社に足を運んで祈ったりしました。
祈ること自体が、悪かったのではありません。
ただ、そのときの私は、「何とかしなければ」と思いながら、頭の中で悪い未来を作り続けていました。
そして、あるとき気づきました。
心配事を頭の中で何時間考えていても、
現実は1ミリも動いていない。
そこで初めて、私は考えました。
「後遺症への不安が強かったなかで、
今の自分にできる最大のことは何か」
私が出した答えは、妻が納得して任せられる主治医を探すことでした。
手術件数を調べる。
同業の医師に話を聞く。
自分の人脈や知識を使う。
そして、医師と実際に対峙したとき、妻が心から「この先生に任せたい」と思えるかを見る。
データだけでもない。
評判だけでもない。
私の直感だけでもない。
手術の経験。
専門家からの評価。
私自身が感じる信頼。
そして何より、妻本人が納得して任せられるか。
それらを重ねて、判断しました。
妻は、直感を大切にする人です。
だから私は、妻の代わりに決めようとはしませんでした。
難しい医療用語を、できるだけ噛み砕く。
医療のメリットとデメリットを整理する。
妻が必要なことを理解したうえで、自分の感覚も使って選べるようにする。
私がしたかったのは、妻の人生を代わりにコントロールすることではなく、妻自身が納得して決められる環境を整えることでした。
妻が医師への信頼を心から持てたとき、私は妻の笑顔を見て、自分のことのように喜びました。
真っ暗闇の中に、光が差したような感覚でした。
自分一人ではどうにもならない領域がある。
その領域では、信頼できるプロに委ねることも必要です。
そして手術の日まで、私は自分にできることに集中しました。
妻の体調の変化に目を配ること。
少しでも安心して過ごせる環境を整えること。
話を聞き、そばにいること。
その先は、どう転んでも受け入れる。
そう覚悟を決めて、向き合おうと思いました。
不安がない妻から、私は学んだわけではない
妻は、少なくとも私の前では、不安に飲まれた言葉をほとんど口にしませんでした。
それは、不安がなかったということではないと思います。
ただ妻は、仕事に打ち込んだり、作業に集中したりして、目の前の時間に戻ろうとしていました。
編み物に集中する。
YouTubeのエガちゃんねるを見て笑う。
夫婦でドライブに出かける。
外食をして、その日の時間を楽しむ。
私は、そんな妻の笑顔を忘れられません。
妻は、未来が見えない中でも、今日を止めていませんでした。
その姿を見て、私は学びました。
この瞬間は、今しかない。
妄想の中で止めている暇はない。
不安があっても、楽しむことはできる。
不安があっても、今日を生きることはできる。
そんなとき、私は、ある古い言葉を思い出します。
ダンマパダ39より
中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫
心が煩悩に汚される事なく、思いが乱れる事なく、善悪の計らいを捨てて、目覚めているひとには、何も恐れることがない
私はこの言葉を、「不安を感じるな」「心配するな」という教えとしては読んでいません。
大切な人の病気を前にして、不安になること。
自分の身体の小さな変化に、揺れること。
それは、心が弱いからではなく、自然な反応だと思います。
ただ、まだ起きていない最悪の未来を、頭の中で何度も再生し続けると、心が乱れ、現実や、今できることが見えにくくなります。
私は、ここでいう「善悪の計らいを捨てて」を、善悪の判断を放棄することとは受け取っていません。
結果を先取りし、自分を追い詰める思考から、いったん離れることだと受け取っています。
未来を完全に支配しようとする代わりに、今できることへ戻る。
不安を消そうとするのではなく、乱れた思いのまま、そこに留まり続けないこと。
私にとって、身体を見るときの法灯明とは、事実と、不安が作る予測を分けること。そして、今できることを丁寧に選ぶことです。
疲れた日に、自分へ戻る3つの問い
不安を完全に消すことは、簡単ではありません。
私も今でも、不安が押し寄せることがあります。
そんなときは、
「あ、今、妄想の中にいるな」
と、まず気づくようにしています。
そして、深呼吸する。
声を出す。
カラオケで歌う。
走る。
トレーニングをする。
身体を使い、意識が一つのことに集中する環境へ、自分を置く。
私にとっては、それが「妄想を忘れている感覚」に戻る、一つの方法です。
もちろん、誰にでも同じ方法が合うわけではありません。
休むこと。
誰かに話すこと。
記録すること。
医師や薬剤師に相談すること。
その人に合った戻り方が、あってよいと思います。
そのうえで、疲れた日や、不安が強い日に、私は自分へ3つの問いを置くようにしています。
1いま、事実として起きていることは何か
たとえば、
- 昨夜は眠りが浅かった
- 今日は朝から身体が重い
- 食後に眠気がある
- 便がいつもと違う
- 医師から手術を勧められた
まずは、起きていることを、そのまま見る。
2不安が付け加えている予測は何か
たとえば、
- このまま悪化するかもしれない
- もう戻らないかもしれない
- 何か重大なことが起きているかもしれない
- 手術がうまくいかないかもしれない
予測が浮かぶこと自体は、悪いことではありません。
ただ、それを事実と混ぜないこと。
3今の自分に必要なのは何か
たとえば、
- 少し休む
- 食事や睡眠を整える
- 数日、記録する
- 受診する
- 医師や薬剤師に相談する
- 家族や周囲に助けを求める
- 必要な対策を、一つだけ始める
不安を消すのではなく、不安に飲まれずに、行動を選ぶ。
それが、私にとって「今できることへ戻る」ということです。
疲れたとき、私たちはすぐに「何かをする」方法を探しがちです。
ツボも、焦りを埋めるために押すのではなく、いまの胃腸や身体全体の状態を見ながら扱いたいと思っています。
身体を責めないことは、身体を放置することではない
身体を責めないことは、何もしないことではありません。
休む。
観察する。
受診する。
相談する。
必要なら、対策を一つだけ始める。
それらを、自分を罰するためではなく、身体と協力するために選ぶ。
心配しているとき、私たちは未来を守りたくて、未来を先回りして考え続けてしまいます。
自分の身体も。
家族の身体も。
仕事も。
人生も。
けれど、すべてを先回りして守ることはできません。
だからこそ、目の前の現実を見る。
いま必要な行動を選ぶ。
そして、自分では抱えきれない領域では、信頼できる人や専門家に委ねる。
それは諦めではなく、現実に向き合うための、一つの力だと思います。
いま身体がつらいとき、あなたは何を足そうとしているでしょうか。
そして、その前に、自分へどんな言葉をかけているでしょうか。
「早く戻さなければ」
「また悪くなったかもしれない」
「もっと頑張らなければ」
その言葉もまた、身体の回復を支える環境の一部かもしれません。
未来を完全に支配しようとする代わりに、
今できることへ戻る。
今日の自分に必要なことを、ひとつだけ、丁寧に選んでみてください。
身体を責めずに、整理するために
健康法を増やす前に、今の身体で何が重なっているのかを整理したい方へ。
Self Hack Labでは、症状だけで身体を決めず、生活、検査、身体の反応、心の動きも含めて、身体を見直すための入口を用意しています。
はじめての方へもう少しじっくり、西洋医学のデータと東洋医学の身体の見方を重ねて学びたい方へ。
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